投稿

夏蕎麦の発芽

イメージ
2月16日は一日中雨でしたが、翌日の17日には夏蕎麦が発芽していました。
これは、昨年蜜源植物として養蜂場で育てていた夏蕎麦からこぼれ落ちた種が発芽したものです。

夏の蜜源--夏蕎麦

昨年は3月14日に播種し、発芽したのは4月4日でしたので、1か月半も早く発芽したことになります。最近は4月並の気温の日もありましたから、無理もありません。

もう春は来ています。

みとろ姫

イメージ
見土呂の公民館の向かいにある小さな墓地には、古墳の石棺の蓋を再利用して造られた石棺仏が祀られています。その石棺仏には、曰くがあり、「みとろ姫」の碑ということになっています。

井ノ口の砦

室町時代に当時一帯を支配していた赤松氏は、井ノ口に砦を建てました。現在「みとろ荘」(上荘町井ノ口520)があるところです。

出張所ないし駐屯地のようなその砦は、井口姓を名乗る井口家治という人物が司っていました。その井口氏には娘がおり、それが石棺仏で祀られることとなった「みとろ姫」です。

なお、その井口氏の娘の本当の名前は分からないので、「みとろ」姫とされています。

悲話

ある時、赤松氏のある家来がみとろ姫に惚れたものの袖にされたことで激昂し、殺してしまうという事件が起きました。石棺仏はその事件の慰霊碑として作られ祀られるようになりました。

石棺仏の立て看板には、より詳細に書かれています。引用してみましょう。

当時、井口城に出入りしていた(赤松)満祐の家来の青年が、姫のあまりの美しさに一目見て心を打たれた。ある年の『月見の祝』の席でやっとの思いで姫に近づくことができ、思いを告白したが姫に申し出を断られた。それに腹を立てた青年は、姫を刺殺し裏山に埋めてしまった。しばらくしてその事実を知った民衆は、姫の死を悼み石仏を立てて奉った。

各方面に非常に配慮した穏当な書き方がされていますが、実際はそんなものではなかったのだろうと思われます。少なくとも当時生きていた人々にとっては石棺仏を作って慰霊しなければならないと思わせるほどにショッキングな事件だったと推察されます。

もっとも、確定し得ない事実を突き詰めたところで意味は乏しいので、この事実の詳細についてはこれ以上は考えません。

なぜ「『みとろ』姫」なのか

この事件の被害者の井口氏の娘の名前は分かりません。当時の女性の名前が明らかになることは例外的なことだったからです。まして、一派出所の長の娘の名前が残ることはありえません。そのため、地名を冠し「みとろ姫」としているわけです。

(なお、立て看板は、「見土呂」という地名は井口氏の娘の名前に由来していると解説していますが、これは順序が逆で誤りです)

ここでのわたしの疑問は、なぜ「井口姫」ではなく「みとろ姫」なのか、です。井口氏の娘ですし、砦も井ノ口にあったのですから「井口姫」で良さそうなものです。

まず、…

養蜂家になるとはどういうことか

養蜂家になるとはどういうことなのでしょうか。ミツバチを飼えばそれで養蜂家なのでしょうか。ミツバチが好きならそれで養蜂家になれるのでしょうか。

ミツバチは自分ひとりだけで飼っているわけではない

わたしは「責任を持ってミツバチを飼育している人」が養蜂家だと考えています。誰でも犬を飼うことができるように、ミツバチも誰もが飼うことができます。それでも、たとえば犬の場合、狂犬病やその他の予防接種をせずに、放し飼いで、しかもキャパシティを超えた多頭飼育をしているなら、それは犬を飼っているとは言えません。むしろ「犬を虐待している」と言えるでしょう。

また、地域で犬を飼っているのは自分ひとりだけということはありえません。近隣の他の人々も飼っているものです。そのような人々のことを無視して独りよがりな飼い方をしていては、それは犬飼い人ではなく、ただの近所迷惑な鼻つまみ者です。

同じことがミツバチの飼育にも言えます。多群のため管理しきれず分蜂を許すなら、どこかで分蜂騒ぎを起こすことになります。分蜂群が飛来した家の人は生きた心地がしないことでしょう。

家畜保健衛生所が実施するふそ病検査を怠っている者や、飼育環境を不潔にしたまま顧みない者、法定伝染病や届出伝染病の感染を確認しても管轄の家畜保健衛生所に報告しない者は、近隣のミツバチに疫病を蔓延させることになります。そのような他の養蜂家を尊重しない者に養蜂家の資格はありません。

こうした問題があるため、養蜂家は地域の養蜂家同士で情報交換を行う必要があります。わたしは情報交換したり、サポートやアドバイスを行うことはやぶさかではありませんし、実際これまでそうしたことを行ってきました。

それでも、養蜂場にゴミを落としたり、養蜂箱に腰を掛けたりするような常識の欠けた人、また友人や家族を侮辱するような礼節を欠く人は養蜂を行う以前のご無用な方なので、お断りさせて頂いています。

学び続ける責任

犬博士にならなくても犬を飼うことはできますが、それでも最低限のことは知っていなければなりません。ミツバチの場合も、放っていても蜂自身がなんとかやっているものですが、放任飼育ではいずれ滅んでしまいます。責任を持ったミツバチの飼育には、勉強が欠かせません。

そもそも、ミツバチは、「養蜂」という語があるように、ペットというよりはむしろ家畜です。愛玩目的や趣味で犬や猫を飼うのと…

みとろ周回コースについて

イメージ
つい最近、このようなのぼりが立てられました。
交通事故については特に聞いていないので、事故が起きることを想定した牽制的なものだと思われます。あるいは、市に対し苦情が寄せられたのだと思います。

それにしても、なぜ自「動」車事故ではなく、自「転」車事故なのでしょうか。

みとろ周回コース

それは、近年、みとろフルーツパークや加古川ゴルフ場、日光霊園、斎場の周りをロードバイク乗りの方々が練習コースとして利用するようになったからです。
https://latlonglab.yahoo.co.jp/route/watch?id=3d8b203bb99f59aa15c78834518840f0

この7kmほどの練習コースは、ロードバイク乗りの方々の間で「みとろ周回コース」とか「見土呂周回道路」と呼ばれたりしています。そこでの練習の様子は、YouTube等の動画サイトや、twitter等のSNSで確認することができます。

https://www.youtube.com/watch?v=UTwJHNLlsBc

自転車で加古川の片隅を走ることを禁じる法律はないのですが、問題は、ロードバイク乗りの方々がスピードを落とさないところです。タイムを記録して練習の成果を計っているわけですから、無理もありません。

彼ら/彼女らが走っているコースは、地元の人ではない不慣れな方々が自動車を走らせている危険な道路です。東西の道は、地元の人ではない、加古川ゴルフ倶楽部の利用者、みとろ荘の利用者、霊園の利用者が、また、フルーツパークのある井坂の南北の下り坂は、みとろフルーツパークの利用者や、産業廃棄物処理業者のトラック、小野方面への通行者がクルマを走らせています。

このようなところをロードバイク乗りの方々が自動車並の速度で走っているので、いつかは大事故が起きるだろうなと思っています。

ロードバイク乗りの方々のマナー問題

みとろフルーツパークも、ロードバイクの乗りの方々に対しマナーを促さなければならない事態に発展しています。施設内でこの程度のマナーであるならば、道路においてどうなのかは想像がつきます。
https://ameblo.jp/mitoro-orchard/entry-11900496107.html
利用状況を嘆いている方もおられます。
https://ameblo.jp/oyamano-shuppo/en…

ダニ問題について

イメージ
今日、日本や世界で養蜂を困難なものにしている原因に、ミツバチに寄生するダニがあります。ダニは体液を吸って宿主を衰弱させるだけでなく、致命的なウィルスを蔓延させてもいます。人間でもマダニ(が媒介するウィルス)によって殺されることがあるのです。ミツバチならなおさらです。

このミツバチを悩ますダニとはヘギイタダニと呼ばれるダニです。日本で近代養蜂が始まったのは19世紀からですが、比較的早い段階からダニがミツバチに着いて衰弱させていることは認識されていました。

当時は、ヘギイタダニは「赤銅虱」と呼ばれていました。その頃はまだ深刻な問題とは考えられておらず、「勢いの弱い蜂群に見られる」とか、「群れを強勢に保っていれば問題になることはない」とか、その程度の認識しかされていませんでした。

今日ヘギイタダニは「羽縮れ病」の媒介者として恐れられています。よくある言い方をすれば、ダニは「小さな殺し屋」なのです。

薬剤抵抗性について

小さな殺し屋に対処する簡単な方法は農薬(動物医薬品)を使うことです。しかしこれが自らの首を締めることになりました。ダニの薬剤抵抗性を高めることになったからです。

日本の農水省は、ダニ駆除剤としてアピスタンしか認可していない時期がありました。そのような期間が10年以上にわたって続き、ダニが薬剤抵抗性を獲得する下地が作られました。

一種類の薬しかなかったため連続で使用され、ダニは容易に薬剤抵抗性を身に着けていきました。薬の効きが悪くなったので、サプライヤーを含む養蜂家らは用法に従わない使い方を繰り返し、ヘギイタダニはますますアピスタン耐性を獲得するという悪循環に陥っていったのです。そして、その「強い」ダニがミツバチと共に日本中に供給されていきました。

農水省が一種類の薬剤しか認可しなかったことは農事行政の過ちと言わざるをえません。現在はアピバールという別の薬が認可されており、交互に使うことが推奨されています。アピバールでアピスタン抵抗性を有するダニを駆除しろということです。理屈としては筋は通っていて、アピスタンのみでやっていくよりもマシですが、アピバールも効き目が弱くなっているようです。つまり、どちらの薬剤にも抵抗性を有するダニが出現しているということです。

もう一種類別のダニ駆除剤が認可されれば状況は改善されるのでしょうか?時間稼ぎにはなるでしょう。しかし、ま…

暖冬と梅の花

イメージ
今年の梅の花の開花

今冬は異例の暖かさで1月になっても春のように暖かい日があるくらいです。みとろフルーツパークでは13日に梅の花の開花が始まりました。


蜂たちも晴れていれば概ね外勤に出かけています。まるで越冬などしないかのようです。

暖冬は越冬に有利か?

暖冬がミツバチの越冬に有利かと言うと、一般論としては「そのとおりだ」と言えます。温暖地の方が越冬確率が高いわけですが、暖かければ消費する蜜も少なくて済み、貯蜜切れを起こすこともありません。それと同じ理屈が成り立つわけです。

しかし、ことはそう単純ではありません。蜂は蜜を吸ってから外勤に出ますが、その蜜の消費を上回る蜜を持って帰らなければ無駄に蜜を消費することとなります。冬は暖かくとも花の数は限られているため、外勤に出たとしても十分な収穫を得られず収支としてはマイナスになる、という理屈です。

養蜂を始めた当初に上のような説明をどこかで読んだ覚えがあるのですが、今のわたしはそれに懐疑的です。

意外に多い冬の蜜源植物

まず、ミツバチは蜜を無駄に探し回ることはしません。まずは斥候隊/先発隊を派遣し、それの報告を受けて初めて本隊を出動させます。

次に冬でも意外と蜜源はあるものです。主に、ビワ、ローズマリー、ヤツデ、チャなどがあります。最も寒い頃には梅が咲き始めます。

このようなわけで、空振りの外勤蜂が蜜を無駄に消費するという事実はないわけです。

寒の戻り

それでも、蜂が春が到来したと勘違いし蜂児の育成を加速させ、蜜を急速に消費させてしまうことがあります。その蜜が切れたタイミングに寒の戻りがあると、春を目前にして凍死で全滅ということが起こりえます。

これは防ぎようがありません。春が到来したとの蜂の判断を覆すことはできませんし、地球的気象の変化を変えることもできません。寒の戻りに対しては十分な蜂蜜でしか対応できませんが、半年後の蜜の残量を秋の段階に予想することはできません。半年間の花の量と蜜の出ぐあい、蜂の増加量、活動量、天候等々を計算するのは無理というものです。

これについては自然に任すしかなく、できることといえば、なるべく多く蜂蜜を残しておき、また一定の確率で蜂群は失われることを弁えて蜂群を多く残しておくことくらいです。

と、悲観的なことを書きましたが、一般的には蜂の好きに任せて春を待っていれば良いだけです。梅の花が咲いてもまだ…

養蜂場ができてから-雑草対策

イメージ
原野化した農地を開墾するのは大変なことでした。

養蜂場ができるまで--開墾
養蜂場ができるまで--残置物
養蜂場ができるまで--大木の伐採

当時は無我夢中で草刈機を振り回していましたが、今から同じことをやれと言われても、とてもできそうにありません。

これらは破損していったチップソー(草刈り機の刃)です。


かなり危険な刃のこぼれ方をしていますが、幸い自分に飛んできたことはありません。破片は探しましたが、見つけ出すことはできませんでした。今もまだ見つかっていません。

効果的な雑草対策--毎日踏みしめること

一年前に更地にしましたが、元はといえば原野です。草を刈り木を倒したことで、却って日当たりがよくなり、代わる代わる草が生えてきます。月に1度のペースで草刈りを行ってきましたが、雑草の勢いを止めることは困難です。

結局のところ、定期的な草刈りよりも効果的なのは、普段から草を踏みしめておくことでした。通り道に草が伸びることはありません。

今は養蜂場をなるべく隅々まで歩き回って「雑草対策」を行っています。

上荘を分断した加古川の洪水

イメージ
上荘町は、印南郡の加古川右岸の町と思われがちですが、加古川左岸にも上荘町はあります。たとえば、JR厄神駅や国包郵便局は上荘町の一部です。上荘町は、加古川をまたいで存在しているのです。

1225年の洪水

なぜそのようになったかというと、今から800年ほど前の1225年(鎌倉時代)に洪水が起きて堤防が決壊し、加古川の流れが変わってしまったからです。

まずは、昔の加古川の流れを調べてみましょう。

この地図は、国土地理院の治水地形分類地図です。
青色の横縞が旧河道です。これをたどると、加古川が、宗佐土山線の西側を南下し、現在の八幡小学校の付近を通り、草谷川(八幡川)より北側を流れ、西条の城山北側ないし五ヶ井用水の取水口辺りを流れていたことが分かります。

現在の加古川の河道と比べるとずいぶん蛇行しています。これが1225年の洪水で真っ直ぐ流れるようになりました。

その結果がこれです。左側の赤線で囲まれたところが都染、右側が国包です。
ちなみに、1225年の洪水では加古川の南を流れていた草谷川(八幡川)も氾濫しました。

左岸の国包

国包は洪水により分断され、村の中心部が川床に沈んでしまいました。村民は、村の東側の出屋敷というところ(加古川左岸)と、西側の井ノ尻(井ノ口の東、現在の日光口)に住むようになりました。

しかしそのことが却って国包を繁栄させることになりました。左岸の国包は、有馬街道上の川渡しや、さらには加古川舟運の船着き場となり、宿や木材加工で栄えることになったのです。

現代では、左岸の国包の生活は八幡町と一体となっています。たとえば、JR厄神駅の名称は、八幡町の「宗佐厄神八幡神社」に由来していますし、また、左岸の子どもたちは、上荘小学校や両荘中学校ではなく、八幡小学校や山手中学校に通っています。

都染

加古川をまたいで存在しているのは国包だけではありません。都染もそうで、左岸にも存在します。もっとも、今は集落はないことから、都染といえば右岸の都染を指すのが一般的です。