2024-07-19

味の素食文化センターの雑誌・ヴェスタNo.134『ミツバチとハチミツの食文化』

味の素食文化センターの雑誌・ヴェスタNo.134『ミツバチとハチミツの食文化』において、『全訳家蜂蓄養記』の新知見が若干採用されています。次の通りです。

日本における養蜂を考える際に注意すべき点は、1「蜜」という漢字が、ハチミツのみならず他の甘味を指す場合があること。2外国由来のハチミツの可能性があること、3実際に当時ハチミツが日本で使われたかどうかは、時代と状況に応じて検討する必要があるということである。養蜂史研究において、東繁彦は多数の文献を渉猟し(久世・東2023)「ニホンミツバチは430年前に朝鮮から渡来したものの子孫」という説を展開しており注目される。

https://www.amazon.co.jp/dp/B0CW19X96P/

(「サンプルを読む」のp8,9)

これまで古文献・古記録の「蜜」は、無批判に蜂蜜orハニーのことだとみなされてきました。研究者を始めとするほとんどの人が「太古の昔からニホンミツバチはいた」と思い込んでいたため、そのように考えても無理はなかったのですが、去年の終わり以降、その「蜜」がミツバチ由来の蜂蜜かどうか、国産の蜂蜜か舶来品か、いつの時代の話なのかを吟味する必要が出てきました。


また、真貝氏は、延喜式の各地からの貢納品の「蜜」についても、「これは従来、国産ハチミツの証左と考えられてきた」と紹介し、もはや延喜式がニホンミツバチの存在の証拠にはならないことを指摘しています。次の通りです。

平安時代の『延喜式』(内蔵寮)には「蜜、甲斐国一升、相模国一升...」と7国からの蜜の所進記録があり、これは従来、国産ハチミツの証左と考えられてきた。ただしすべて1升から2升(約0.75〜1.5リットル)の量で、鑑真の積荷のハチミツ量と比較するとかなり少ない(真貝2020)。前述の東は、この蜜はマルハナバチの蜜であるとしており、今後さらなる議論が必要となろう。

「延喜式の蜜がニホンミツバチ由来のものならば少な過ぎる」と気づいたようです。ニホンミツバチなら1群から10リットルは蜂蜜が取れますし、それが数群、それもあちこちから採れたなら、もっと大量の蜂蜜が納められたことでしょう。

なぜ1リットル前後と少量なのでしょうか?その蜜は本当にニホンミツバチの蜜だったのでしょうか?これについて真貝氏は、マルハナバチの蜜だという私の説を紹介するとともに、今後議論を深める必要を訴えています。


奇しくも同じ頃、関西大学の吉田宗弘名誉教授が、「食生活研究」(食生活研究会)誌において、「江戸時代より前に国産蜂蜜は存在しなかったかもしれない」(2024、44巻3号、pp149-157)というタイトルで、「ニホンミツバチ外来種説」を論評し、平安時代の「蜜」は、マルハナバチ由来のものであることを証明しています。これについては以後紹介する予定です。