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わたしの養蜂具――虫眼鏡

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「 聴診器内検 」の続きです。 新しいシリーズとして、わたしが使っている養蜂具を説明していきたいと思っています。 もしかすると皆さんは、「養蜂具は誰でも同じものを使っている」と思われるかもしれません。確かにわたしは皆さんが使っている養蜂具を使っていることもありますが、使っていないことの方が多いでしょう。同時に皆さんが使っていないものを使っていることもあります。 今回紹介するのは、皆さんが使っていないと思われる方の養蜂具です。それは虫眼鏡です。倍率5倍ほどのものです。いわゆる100円ショップで110円で売られています。 これを使うと普段見落としているものをつぶさに見つけることができます。まず、よく使うのは箱の底に落ちたゴミの確認です。ヘギイタダニの死骸が落ちていることがあります。次によく見るのはミツバチの死骸の腹側です。ヘギイタダニがついたまま死んでいる個体が見つかることもあります。 虫眼鏡は卵を確認するのにも使えます。卵は見なくても幼虫を見れば産卵状況は分かるわけですが、それでも卵があれば3日以内の産卵状況が分かります。卵の数を3で割ったのが1日の女王蜂の産卵ペースです。3週間後に日々追加される蜂の数でもあります。 もちろん蜂や観察にも使えます。養蜂家が蜂を見ずにどうするというのでしょうか。蜂は同じようで違いがあります。コロニーによって差がありますし、コロニーの中でも差があります。 スマホと連携可能な顕微鏡もあります。それは写真を撮るのには便利ですが、気軽に確認するのにはやや大げさです。起動するのに時間がかかりますし、倍率が高すぎて目標物がすぐには見つかりません。虫眼鏡ならそんな時間はかかりません。 虫眼鏡は、なくても養蜂は成り立ちますが、それでは多くのものを見落としているはずです。 皆さんも虫眼鏡を使うなら、気づかなかった多くのことに気づくようになるでしょう。

養蜂場のヘアリーベッチの開花

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「 冬の蜜源植物 ローズマリー 」の続きです。  わたしにとってのヘアリーベッチは、「晩春になると加古川河川敷を赤紫に染めるカラスノエンドウのような新手の蜜源植物」というものです。しかし、知っているのはそれくらいでした。 昨年蒔き開花した種は少しでしたが、次の世代が続々と芽を出し花を咲かせるようになりました。最初の開花を確認したのは3月30日です。この時期は雨が降るたびに植物が加速的に成長していきます。 カラスノエンドウの方が一足先に開花していましたが、そちらは花がひとつか一対であるのに対し、ヘアリーベッチは房状になるので容易に見分けが付きます。 これが今、養蜂場のあちこちで咲いています。加古川河川敷でも探せば見つけることができます。本格的な開花はもう少し後になってからです。 「カモミールの植栽」に続きます。

今後のブログ運営について

この1年間、隔週の投稿を続けることができました。 今後もブログの更新を続ける予定でいますが、他の活動と併せて持続可能なものにするためにも、これからしばらくの間は再び1週間ごとに更新することにいたします。 また、扱う内容として各種質問に対する回答も加える予定でいます。 今後もご愛読いただければ幸いです。

ハチはなぜ大量死したのか--越冬失敗

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「 ハチはなぜ大量死したのか--農薬による蜂群崩壊 」の続きです。 越冬中に蜂群死が起きるのは避けられません。ヘギイタダニが猛威を振るう昨今において2割の越冬失敗率は標準的です。当養蜂場においても2割ほどの蜂群が越冬に失敗しました。 異例の暖冬だった昨年と打って変わって今年は厳しい寒波が幾度となく襲い、例年の緩い冬に馴れきった遺伝子には辛い試練でした。もちろん、日本海側や北側の地域と比べれば遥かに越冬しやすい恵まれた環境なのでしょうが。 越冬が難しいだろうと思われた小規模な群れも凍死しました。数が少なく寒さに耐えられなかったのでしょう。それでも、同じ程の小群で生き延びている群れも少なくないのもまた事実で、その差がどこにあるのかは分かりません。 期待の強群が凍死することもあります。規模が小さいのはその群れの責任で淘汰されるのは自然の理ですが、大きな群れが滅びるのはエラーです。色々してやれたのではないかという後悔が残ります。 近くの大規模養蜂場では8割以上が越冬に失敗したようです。原因は分かりませんが、ヘギイタダニ起因であるなら、従来の化学的防除は限界に達していると言えるでしょう。

「ハニーランド 永遠の谷」のレビュー

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「ハニーランド 永遠の谷」は北マケドニアの貧しい養蜂家を追ったドキュメンタリーで、「半分はかれらに、半分はわたしたちに」というフレーズが気になり、いつかは視聴しようと思っていました。 もっともわたしには映画館に行く習慣がなく、DVDプレイヤーも持っておらず、オンライン配信を待っていたところ、5日になってYouTubeで配信が始まり、ようやく見ることができました。 視聴者によって感想が異なるのは当然ですが、殊に養蜂家のそれが他の人のものと異なるのは仕方ありません。 養蜂家の観点からいうと、まず「蜂が全然出てきません」。一応ところどころ出て来はしますが、向こうの養蜂の実態や古来から続く自然採取が分かるというものではありません。 それでも、貪欲で技術もなく蜂や隣人への敬意もない養蜂業者が如何に周囲の迷惑になるかといったことは良く分かるものでした。利益しか頭にない養蜂家や、これから養蜂を始めようと思う人は本作品を視聴しておくと良いでしょう。 ドキュメンタリーとして見た場合は、絶望的な貧困を描いたキツイ作品です。見て楽しくなるものではありません。「経済的弱者」という言葉が甘く感じれる程に、資本主義のもたらす暴力と貪欲の残酷な結果が見事に描かれています。

見土呂の大西甚一平

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「 小野の長池と弥三郎池 」の続きです。 寄生地主としての大西甚一平 大西知雄 の子孫に、明治維新後に加古川財界で頭角を表した人物がいます。大西甚一平です。 松方デフレや貿易のために農産物の価格が下がり、地租改正で手に入れた土地を手放す農家が出てきました。それを買い集めて大地主になった者のことを歴史的に「寄生地主」と呼びますが、大西甚一平もそれに該たります。 大西甚一平は、1831年(天保2年)に生まれ、25歳で家督を継ぎました(1855年(安政2年))。 1885年つまり55歳の頃には、「大西家は明治18年に134町の土地を有し、当時の算定地価は8万125円余り、地租を2,003円納入する県内第4位の地主」になっていました。 (出典:角川日本地名大辞典(28)兵庫県(角川書店、1988年)) 明治25年(1892年、62歳)には、播磨7郡に202町の田畑を、宅地は4町、山林は50町所有するまでになっていたとのことです(「町」の面積は、ほぼ1ha)。 俗に「他人の土地を踏まずに○○まで行くことができた」と言い伝えられています。こんな大金持ちが100年前に上荘にいたとは驚きです。 事業家としての大西甚一平 大地主と言えども、農業だけでは先行きは怪しいですから、その財力を背景に当時流行っていた「銀行」という新産業にも乗り出しました。当時は銀行や鉄道、ガス・電力などの「新しい」産業が流行っていたのです。今日のIT産業のようなものです。 甚一平が興した主な事業に、三十八銀行、加古川銀行、神栄会社、熟皮会社、大西銀行、国包銀行等があります。播磨経済の振興に一役買っていました。 この大地主・大西甚一平は、1907年(明治40年)8月5日に数え年77才で亡くなりました。 二代目大西甚一平 さて、大西甚一平は上の人物だけでなく、もうひとりいます。大西甚一平を襲名した次男の勘治も「大西甚一平」です。みとろ苑を築造したり、加古川ゴルフ倶楽部に土地を提供した大西甚一平は、この二代目の方の大西甚一平です。 「二代目」の大西甚一平(勘治)は1872年(明治3年)生まれました。 http://jahis.law.nagoya-u.ac.jp/who/docs/who4-2892 1901年(明治34年)に家督を相続し、土地だけなく銀行等会社も引き継ぎましたが、初代のような財界人と言うよりは、地

冬の蜜源植物 ローズマリー

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「 非常に早い梅の開花 」の続きです。 昨年の冬はまれに見る暖冬で、皇帝ダリアもエンジェルトランペットも年明け後かなり長く咲き続けました。しかし今年はあっという間に枯れてしまいました。ラニーニャ現象による寒さのためです。 こんな寒い日でも晴れの日には蜂は偵察や採餌に出かけます。あたりを見回しても枯れ草ばかりの中どこへいっているのか不思議ですが、ローズマリーに行っているのは確かです。 ローズマリーはシソ科の常緑低木樹です。秋から春にかけて、特に冬の間に小さな花を咲かせて蜜を提供してくれる珍しい植物です。 ローズマリーは、生け垣などに用いられることが多く、上荘に限らずどこでもよく見かけます。 一昨年末、自宅のローズマリーから穂を取り、挿し木を作りました。 3か月後にはポットの底まで根が伸びていましたので定植することにしました。 定植直後の様子です。 10か月後の今では高さ30cmほどに成長しています。 今年はまだどれも花はつけていませんが、来年には咲いてくれるでしょう。 ローズマリーの定植は冬の蜜源になることを目的にしていますが、夏には穂を入れてダニ駆除効果があるのかどうかも試してみるつもりです。 「 養蜂場のヘアリーベッチの開花 」に続きます。

聖書とハチミツ6--バプテスト・ヨハネの野蜜

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「 聖書とハチミツ5--穢れたミツバチの蜂蜜を食する 」の続きです。 共観福音書の記述 福音書は、バプテスト・ヨハネからイスカリオテのユダに終わると言っても過言ではありません。どちらもキャラが立っています。特にイスカリオテのユダは終盤に突如目立ち始め美味しいところをかっさらっていきます。あくまで主人公はイエスですが、キャラの立った登場人物が多いのも福音書の魅力でもあります。 ここで検討するのはバプテスト・ヨハネについてです。ヨハネは格好からして普通ではありませんでした。 このヨハネは、らくだの毛ごろもを着物にし、腰に皮の帯をしめ、いなごと野蜜とを食物としていた。マタイ3:4 このヨハネは、らくだの毛ごろもを身にまとい、腰に皮の帯をしめ、いなごと野蜜とを食物としていた。マルコ1:6 このらくだの毛衣と皮の帯は、当時人気の高かった昔の預言者エリヤのコスプレです。ヨハネは、アハブやバアル崇拝者のイゼベルを糾弾したエリヤになりきってユダヤ人に悔い改めを迫ったというわけです。 しかし、ここで検討するのは、ヨハネの主義主張ではなく、その食物です。 野蜜 「野蜜」とは一体何なのでしょうか。日本語に「野いちご」という語ならありますが「野蜜」という語はありません。 「野蜜」は英語ではwild honeyです。しかし何度も言っていますが、ギリシャ語で書かれていたものを訳語から考えても意味はありません。ギリシャ語では、μέλι ἄγριονです。μέλιがメリッサの「メリ」で、ἄγριονがアグリオンです。それぞれ「蜜」と「野生」という意味です。 「乳と蜜の流れる地」の「蜜」は蜂蜜ではなくイチジクかナツメヤシの甘味だと以前に述べましたが、この「野蜜」は蜂蜜で間違いないでしょう。なぜなら、イチジク/ナツメヤシを食べていたら「いなごとイチジク/ナツメヤシを食物としていた」と書かれていたはずだからです。 それでも疑問が完全に脱ぐえるわけではありません。なぜ、「野」蜜なのかの謎は残ります。 飼育しているミツバチの蜜を「蜂蜜」と呼び、野生のミツバチの蜂蜜を特に「野蜜」と読んだのだと言えれば簡単ですが、語義のみでそこまで言ってしまうのは憚れます。しかし憚れはしますが、きっとそういうことなのだろうと思います。それ以外に「蜜」にわざわざ「野」という修飾語をつける理由が思い当たらないからです。 蜂蜜ハンタ