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9月, 2021の投稿を表示しています

半巣礎養蜂の実践

「 無巣礎養蜂の実践 」の続きです。 無巣礎が良いかどうかと問われて、「なぜ巣礎が発明されたのかを考えたら分かることでしょ」と意地の悪い答えをすることもできますが、そのような答えは、なぜそのような問いが発せられているのかについての洞察を欠いた浅慮な答えです。 巣礎を疑問視する問いは、ヘギイタダニ問題の文脈で発せられています。自然に存在しない巣礎がヘギイタダニ抵抗性を奪っている疑いは拭えません。巣礎の巣房サイズは、自然の巣房よりも6%ほど大きいからです。 「ミツバチに必要なことはミツバチが最もよく知っている」のは確かです。体の大きい働き蜂の方がいいというのは、人間の都合、おせっかいです。 それでも、無巣礎にしたからといって大問題が万事無事に済むわけもなく、実感としては増巣に時間がかかり、ヘギイタダニ抵抗性に効果があるようにも感じられず、無巣礎養蜂は養蜂家の自己満足、自然派アピールに過ぎないように思われます。 実際、現在巣礎が必要とされるのは遠心分離器で回す時に巣板が壊れないようにするためです。無巣礎の場合でもゆっくりと回し、さらに裏返す作業を頻繁に行えば蜜は取れますが、それが面倒なので巣礎が必要とされるわけです。 そうした必要との折衷的な解決策が半巣礎です。半巣礎なら、ミツバチたちには自分たちが必要とする巣房を作る余地が50%もあります。全面巣礎のように蜂の移動に無駄ができることもありません。 半巣礎の方法は文字で説明もできますが、写真のとおりです。こうしているからと言って、ヘギイタダニ問題が直ちに解決される訳ではありません。小さく積み重ねる努力のひとつです。

養蜂家になるとはどういうことか2

「 養蜂家になるとはどういうことか 」の続きです。 初心者を騙そうとする悪徳商人に注意 ミツバチを飼ってみたいという気持ちを持つのは良いことですが、ミツバチの飼育は簡単ではありません。考えてみてください。もし誰にでも飼えるのなら、職業や業としての養蜂はありえないでしょう。 世間には「週末養蜂」とか「初心者でもできる」とか「裏庭養蜂」などと耳触りの良いことを言っている人もいますが、そのような人々は、高価な養蜂具や種蜂を買わそうとしている人々です。もし本気でそう唱えている人がいるなら、その人の養蜂に対する認識はその程度のものでしかありません。これから蜂を飼おうとしている人はこのことをよくよく銘記しておいてください。 「養蜂を学びたいなら、養蜂家の元で少なくとも1年は学ぶ必要がある」と書いているものもあります。「少なくとも」と書いているだけ良心的ですが、これは1年学べば十分ということではありません。人によって学ぶべき期間は違うでしょうから、「何年学べば大丈夫」などと言うことはできません。 困難な家畜を飼う覚悟 もちろん初心者でもミツバチを飼うことはできます。しかしそれはペットショップで犬や猫を買ってくるのと同じレベルのことです。ブリーダーのレベルにならなければ飼ってはならないとまでは言いませんが、デパートやスーパーでカブトムシやクワガタを買うレベルで考えているなら、それはあまりに愚かなことです。 散々言い尽くされているように、ミツバチは「家畜」です。いきなり神戸牛やホルスタインを買い始める人はいないでしょう。ならば、なぜミツバチなら飼えると錯覚するのでしょうか。ミツバチも神戸牛と同じかそれ以上に容易ではない家畜です。 もしミツバチを飼いたいのなら、犬や猫などではなく、牛や豚を飼うのと同じ程度の覚悟が必要です。 養殖業としての養蜂 犬や猫を飼いきれずに捨てる人がいます。まったく理解できません。犬や猫が病気になるように牛や豚も病気になりますが、ミツバチも病気になります。特に後三者は、前者よりも遥かに病気になりやすいものです。というのも、それらは狭いところに押し込まれて多数飼われているからです。 養殖業なのですから効率的生産のため、集約的になります。その結果しょっちゅう病気が発生し、まん延しています。こうした問題に対処するには、愛玩するのとは違うレベルの専門知識と技量が求められ

わたしの養蜂具――背負子

「 わたしの養蜂具――燻煙器 」の続きです。 さて、「背負子」とは何でしょうか。「背負子」は「しょいこ」と読みます。背中に背負うものです。これがそれです。 昔話に出て来るおじいさんが背中に芝や薪を背負うようなものです。 わたしはこれで養蜂箱を背負って運んでいます。奇妙なことをしているように思うかも知れませんが、意外とそうでもありません。同じコンセプトのものは山登りでも使われています。 もっとも、登山で使われる背負子はアルミフレームですが。 材料は木材です。養蜂箱の端材をネジ止めして作りました。金属製のものよりも軽くて丈夫です。材料費がゼロ円(ネジ代はかかっていますが)というのが良いです。 これがあるおかげでクルマから排気ガスをだして環境に負荷を与えるようなことをせずに済んでいます。 「わたしの養蜂具――隔王板」に続きます。

養蜂場ができてから--センダンの切り株

「 養蜂場ができてから--カボチャと獣害 」の続きです。 当養蜂場は元々は荒廃農地でした。切り倒した木の本数は数え切れません。そんな木も今ではほとんどが薪に姿を変え、資源は有効活用されています。 一本だけ養蜂場に残り続けているものがあります。解体するには大きすぎる木です。動かすこともできず、有効活用されることもなく横たわっています。切り株も残ったままです。掘り起こすことは無意味ですし、そもそもそんなことはできません。 この切り株は、昨年までは小枝が生え再生を目論んでいましたが、今年ついに沈黙しました。 今後は徐々に朽ちて行くだろうと思いますが、それは今年や来年の話ではありません。わたしが生きているうちに片付いたら良いのですけどね。