2024-09-27

後鳥羽院熊野御幸記など熊野詣について

後鳥羽院熊野御幸記や、その他の熊野詣についての原文は、ここから読めます。

http://www.ojiri.jp/gotobajyoukoukumanomoude.htm

『全訳家蜂蓄養記』の執筆当初、私はこれらのどれか一つには蜂蜜についての記述があるものと期待していました。蜂蜜は高貴な身分の人物へ献上するのにうってつけだからです。

しかし、これら熊野についての古い記録のどれも蜂蜜に言及しておらず、そのことは私にとって違和感が残る結果となりました。それでもその頃は、文献調査の範囲が狭いとか、読み込みが足りないとかと思い、そのうちどこかに蜂蜜の記述は見つかるだろうと楽観していました。

さて、あったことを証明するのは簡単で、証拠を一つ提出するだけで十分です。一方、なかったことを証明するのは大変で、全部を調べた上でそれらのどれにもなかったことを証明しなければなりません。もちろんそのようなことは事実上不可能なため、「悪魔の証明」と呼ばれたりします。

そのようなわけで、私は「全部」を調べたわけではありませんが、ほぼ全部を調べた域に達したと考えたので、「当時の熊野に蜂蜜はなかった」と結論しました。この私が到達した結論に対し、皆さんがどう思うかは全くの自由です。

それでも今のところ、朝鮮出兵よりも前に熊野に蜂蜜やミツバチがあった証拠は見つかっていません。もし、当時の熊野に蜂蜜もミツバチもあったと信じていてそれを証明したい人がいるなら、是非それを証明してみてください。証拠はたった一つで十分ですから。

2024-09-13

津島紀略の伝承は歴史的事実とすることはできない

津島紀略が、根拠不明の「伝承」を書き残したため、対馬には継体天皇の時代からミツバチがいたと信じる人がいます。

しかし一般的に伝承は、それだけを根拠に歴史的事実だったとすることはできません。そうするには、その伝承を補強する証拠が必要です。それがないなら、伝承は伝承に過ぎず、過去の記録と見做されることはありません。

もし伝承のみを提出してさもそれが歴史的事実なのだと主張するなら、それは何か良からぬ意図がある、つまりは欺こうとしているのでしょう。

さて、その肝心の、対馬のミツバチの伝承はこれです。

https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/ru04/ru04_01173/ru04_01173.pdf

54コマ目に書かれています。該当箇所を探すのは非常に大変でした。

原文に当たって驚いたのは、玉川大学の故・吉田忠晴氏の解説が誤読に基づくものだったことです。氏は読まずに書いたのでしょう。あるいは読んでも理解していなかったのでしょう。氏の解説は、「専門家が書いているから」という素朴な理由で無批判に引用され、信じられてきました。これもまた、日本の養蜂史を歪めた一因となっており由々しきことです。

これまでの日本の養蜂史の多くの部分は、「専門家」らが創り上げたもっともっとらしいフィクションとなっています。それらは、今一度冷静になって、人文科学、社会科学、自然科学の視座から書き直されねばなりません。