「聖書とハチミツ1--復活後のイエスはハチミツを食べたのか?」の続きです。
古代イスラエルの様子を垣間見させてくれる聖書の中には蜂蜜の記述はありますが、養蜂についての記述はありません。しかし、イスラエルでは少なくとも紀元前1000年頃、すなわちソロモン王朝の頃には既に養蜂が行われていたようです。
テル・レホブの遺跡
ヨルダン川西側にあるテル・レホブには遺跡があり、そこから養蜂箱が発掘されています。養蜂箱といっても、現代使われている四角い木箱ではなく、藁を混ぜて補強した泥を日に干して固めた円筒形のものです。直径40cm、長さ80cm、厚さ4cmですが、容量は約56リットルと現代の養蜂箱と同じ程度です。
この円筒形の養蜂箱はエジプトやメソポタミア周辺でよく使われていたタイプのもので、イスラエル独自のものではありません。イスラエルの養蜂は近隣国から伝えられたのでしょう。
種蜂の輸入
発掘された円筒形の養蜂箱には蜜蝋が残っており、その中に閉じ込められ保存されていたDNAを分析したところ、飼っていたミツバチは地元の攻撃的なミツバチ(シリアミツバチ;Apis mellifera syriaca)ではなく、アナトリア半島(現在のトルコ)の生産的なミツバチ(アナトリアミツバチ;Apis mellifera anatoliaca)だったことが明らかになりました。今から3000年前のイスラエル人は周辺国と交易があり、養蜂に適したミツバチをわざわざ輸入していたことが分かります。
現代でこそ育種のために他のミツバチを輸入することは行われていますが、それが飛行機もない3000年前に行われていたのは驚きです。また、ユダヤ教は異邦人に対して排他的なように思われがちですが、そのような態度は司祭階級や熱心な信者の間に限られ、末端においては必ずしもそうでなく、交易を通して異国の技術や産業を採り入れていたことが伺えます。
養蜂を行っていたユダヤ教エッセネ派
このテル・レホブの養蜂場は、災害か戦乱かは不明ですが、火災により放棄されたようです。それでもイスラエルで養蜂が途絶えた訳ではありません。
フィロンの『ヒュポテティカ』(十一Ⅰ-18-8)には、エッセネ派と呼ばれた紀元前後1世紀頃の敬虔主義者らが、人里離れたところで集団で生活し養蜂も行っていたことが、次のように記録されています。
「彼らの中のある者たちは、種まきや耕作に長けた農夫であり、ある者たちは牧夫であってあらゆる種類の家畜を管理し、またある者たちは蜜蜂の群を飼っている」。(土岐健治「死海写本『最古の聖書』を読む」、講談社学術文庫、2015年)
「聖書とハチミツ3--乳と蜜の流れる地」に続きます。
参考文献
https://www.academia.edu/37231955/Mazar_A._2018._The_Iron_Age_Apiary_at_Tel_Re%E1%B8%A5ov_Israel._Pp._40-49_in_F.Hatjina_G.Mavrofridis_and_R.Jones_Eds_Beekeeping_in_the_Mediterranean_-_From_Antiquity_to_the_present._Nea_Moudania
https://www.researchgate.net/publication/291853946_It_is_the_land_of_honey_Beekeeping_at_Tel_Rehov