2024-05-24

小右記

藤原実資(さねすけ)の日記『小右記』1017(寛仁元)年の日記

この日記は、ニホンミツバチがいた証拠として挙げられることが多く、倉本一宏氏など『小右記』の研究者でも、そういう注解をすることがあります。しかし、昆虫の生態に通じている国文学者がいるわけもなく、そのような注解は、拙訳『家蜂蓄養記』に指摘しているとおり、誤りです。

内容は以下のとおりです。

「長押間有蜜巣事」

九月十二日丁未今夏以来西対唐庇連子下木与長押間蜂多猥雑昨今見其巣有蜜巣取一壺令嘗極甘者今旦召忠明宿祢令見申無疑由仍相構令取其巣深在連子下底先執数蜂納黒漆壺其後取出有未成身之子巣等又多有盛蜜之巣瀉入唐白茶垸全二合即放数蜂是希有事也仍記子細

漢文で見ると短いですね。現代語訳は、『全訳家蜂蓄養記』に書いてありますので、そちらをご覧ください。

なお、この記述のない『小右記』もあります。写本によって異なるのです。「長押間有蜜巣事」は、「前田家」所蔵の写本に記されていたようです。

https://dl.ndl.go.jp/pid/3450192/1/62

現在放送中のNHKの大河ドラマは、この時代のことを扱っており、『小右記』に詳しい倉本一宏氏が時代考証に参加されているようです。まさか上のシーンが放送されることはないと思いますが、ニホンミツバチが映し出されないことを祈るばかりです。

日本の悪しき教育システムに、高校の「理系」と「文系」の分離があります。『小右記』研究の第一人者が堂々と間違えてしまったのも、この教育システムに原因があると言えるでしょう。拙訳『全訳家蜂蓄養記』の「あとがきにかえて」にも書きましたが、本来学問に「理系」も「文系」もありません。今後は、どちらも自在に操れる文理両道の研究者が、学問をリードすることになるでしょう。

【追記】

近頃、「食生活研究」(食生活研究会)という雑誌の中で、関西大学の吉田宗弘名誉教授が、「江戸時代より前に国産蜂蜜は存在しなかったかもしれない」(2024、44巻3号、pp149-157)というタイトルで、「ニホンミツバチ外来種説」を論評されました。

https://jglobal.jst.go.jp/detail?JGLOBAL_ID=202402238444081556

その中で、この『小右記』の「蜜蜂」についても検討を加え、「この蜂はニホンミツバチではなくマルハナバチだ」とする「東の考察は妥当である」と評しています。

この論文「江戸時代より前に国産蜂蜜は存在しなかったかもしれない」については後日改めて紹介する予定です。

待ちきれない方は、所蔵する以下の大学図書館でご覧ください。

https://ci.nii.ac.jp/ncid/AN0031498X?lang=ja

2024-05-10

群馬県立図書館「ニッチな一冊」に紹介されました

群馬県立図書館は、2024年度から、市町村立図書館との役割・分担調整のために、「小説や絵本など娯楽要素の強い書籍から、歴史や農業技術、経済学など専門書を中心に置き換える」とのことです。

https://mainichi.jp/articles/20230909/k00/00m/040/130000c

私は群馬県に限らず、どこの都道府県も同じようにすべきだと考えています。例えば宮島未奈『成瀬は・・・いく』は、滋賀県立図書館に置かれるのは必然としても、純粋に娯楽なのですから、わざわざ都道府県図書館に置く必要は乏しいと感じます。そのような本に予算を充てるくらいなら、『全訳家蜂蓄養記』を置くべきでしょう。

さて、この度、群馬県立図書館さまが、拙訳『全訳家蜂蓄養記』を「ニッチな一冊」に紹介してくださいました。数ある出版物の中からピックアップいただけたことを光栄に感じています。

https://www.library.pref.gunma.jp/blogs/blog_entries/view/1190/4a4aab0b0028608f8b0eb3187541fa7c?frame_id=1132

本書は、江戸時代の養蜂というニッチなテーマを扱っていますが、日本の歴史に関わるものでもあります。従来の、先史時代の人々や古代人が蜂蜜やミードを楽しんでいたとする誤った歴史認識は、本書によって打ち破られました。

ニホンヤモリが在来種ではなく外来種であることは、東北大学の千葉聡氏の研究グループにより明らかにされ、特に反論もなく受け入れられています。一方で、ニホンミツバチは、愛国心ビジネスや環境保護ビジネスのアイコン、または研究費獲得の出汁にされているため、「ニホンミツバチは朝鮮出兵の時に連れて来られた外来種」という本書の研究結果は、感情的な抵抗を受けています。

もし群馬県立図書館と同じように、他の都道府県図書館も「ニッチな一冊」を所蔵していくなら、上のような誤った歴史認識は、拙著の「知識の結晶」によって静かに正されていくことでしょう。