2024-12-20

石見、出雲、山城(岩国の北)のミツバチと吉川広家との関係

『家蜂蓄養記』の153ページには、江戸時代に養蜂が盛んだったとされる地域の一覧表があります。その表を作って最初に気づいたのは、「『延喜式』の蜜の貢納義務国と齟齬がある/一致しない/連続性がない」ということでした。その気づきは、平安時代の「蜜蜂」がミツバチではなくマルハナバチだという発見に繋がりました。

次に、表を見ていると、蜂蜜の産地は論者によって違いはあるものの、私の認識と大きく食い違っているわけでないことにも気づきました。それが、江戸時代の養蜂実態をよく表しているように思えてなりませんでした。この気づきにより、鍋島氏から岡部氏へのミツバチの贈呈という、ほとんど知られていない歴史的事実の発掘にも成功しました。

日本各地のミツバチの由来は、九州地方のミツバチは、島津義弘が連れ帰ったミツバチの子孫で、紀州と関東、四国地方のミツバチは、尾呂志孫次郎が持ち帰ったミツバチの子孫だということで、分子生物学上の知見と辻褄は合うこととなりました。しかし、石見、出雲、山城(岩国の北)などの中国地方のミツバチの由来は分からず終いでした。

戦国時代の武将・大名の吉川広家(きっかわひろいえ)は、関ヶ原の戦いの前は出雲の富田城にいましたが、関ヶ原の後には周防の岩国に移されました。これは、石見、出雲、山城(岩国の北)が江戸時代に養蜂が盛んだった地と一致します。偶然とは思えません。

広家は、朝鮮出兵時に多くの朝鮮人捕虜を連れ帰って来たとのことなので、そのうちの誰かが蜂飼いで、大隅の小川市右衛門のようにミツバチも連れて来たと予想されました。しかし思うように史料は見つかりませんでした。

「中国地方のミツバチは吉川広家由来のものだ」と言えたなら全てがスッキリするのですが、推量を書に記す訳にはいきません。そんなことをしては、根拠不明の想像が事実化してしまい、未来に禍根を残すことになります。結局時間切れとなり、推量を示すことなく出版とあいなりました。

現在、吉川広家関係の資料を保有しているのは、山口県にある岩国徴古館(いわくにちょうこかん)と、吉川資料館です。岩国徴古館は、吉川家による江戸時代の統治、岩国の行政の資料を収集しており、吉川資料館は、吉川家の古文書を収集しています。しかしながら、岩国徴古館の学芸員の教示によると、吉川広家の朝鮮出兵に関する一次史料はほとんどないそうです。連行してきた捕虜なども直接的な証拠はなく、それに基づいた翻刻資料や出版物もないとのことです。そのようなわけで、広家の朝鮮出兵時の行動などは、他の史料によるもののようです。

以上のとおり、中国地方のミツバチは吉川広家が朝鮮出兵時に連れ帰ったものとする仮説を歴史史料から証明することはできません。もちろんこの仮説自体がそもそも誤りで、別の誰か、例えば毛利氏の可能性もあります。その場合は、ないところを必死に探していただけだったことになります。

というわけで、中国地方のミツバチの由来はまだ誰も突き止めていないので、誰か詳しい人が証拠を見つけてくれることを期待しています。

2024-12-06

『全訳 家蜂蓄養記』の書評など

『全訳 家蜂蓄養記』の出版から一年が経ちました。この間、多くの反響をいただくことができました。

「ニホンミツバチ外来種説」も研究者の間では浸透し、今では「ニホンミツバチは古くから生息する野生種」という絶妙な表現が用いられるようになっています。

各学会において書評をいただいています。

まずは、日本応用動物昆虫学会会員の原野健一氏の評からです。

https://odokon.org/archives/2024/0615_095317.php

限られた文字数の中で、不過分なく整然と紹介いただきました。展開も無理なく筋道だっていてスッと入ってきます。拙訳は第二部が注目されがちですが、ちゃんと第一部にも注目し紹介されていて、よく読んでいただいた上での評だと感じました。

原野氏は現在、玉川大学で教えておられますが、その研究者人生を綴ったものに『ミツバチの世界へ旅する (フィールドの生物学 24) 』(東海大学、2017)があります。同書によると、原野氏は、ミツバチのダンスなどイメージ先行で語られる事柄が必ずしも実態を表しているわけではないことを認識されているようです。

おそらくこれまで、そういう問題意識を持ちながら実験などをされてこられたので、ニホンミツバチ外来種説についても紹介する必要があると考えられたのだと思います。なお、その説に対し原野氏自身は評の中でご自身の立場を明確にはされていませんが、読者に先入観を持たせないための配慮だったのだろうと想像します。

次は、日本民俗学会の佐治靖氏による評です。日本民俗学会とは、なるべく権威主義的な表現を抑えて説明すると、柳田國男の流れにある日本で著名な民俗学の研究者団体です。

そのような団体の機関紙に『全訳家蜂蓄養記』が紹介されたことは、民俗学の発展に貢献したはずです。というのも、日本の民話にミツバチはほぼ皆無、江戸時代になってポツポツと現れる程度だからです。民俗学は広範ですが、研究者なら誰しも一度は「日本にはミツバチの話がない」と不思議に思ったことがあるはずです。

その答えは、『全訳家蜂蓄養記』に明らかにされているので、書評を読んだ研究者は、勘を働かせて拙訳を手にしたのではないかと思います。

日本民俗学の書評は、こちらをご覧ください。

https://toretate.nbkbooks.com/9784540231445/

拙訳を紹介くださった両氏に感謝申し上げます。

さて、拙訳は、翻訳も解説も、養蜂史再考も、どの部分も全力で書いています。

まあでも濃淡がないわけではありません。一番楽だったのは第三部の原文です。校訂などはありましたが、それほど苦労はありませんでした。書き写すだけですからね。一方で、最も真剣勝負で臨んだのは、「書き下し文(かきくだしぶん)」です。書き下し文自体は、人によって解釈の違いがあるので、違っていても構わないのですが、助動詞の活用や助詞は間違えると明らかなので、そういうミスのないよう何度も音読して確認しました。

ちなみに、高校以下の教育機関では、一般的に書き下し文は、いわゆる歴史的仮名遣いで書くものですが、私は現代仮名遣いで書いています。最近の教科書は、書き下し文の歴史的仮名遣いは強制していませんし、研究者は主に現代仮名遣いを採用しているからです。

現実的なことを書くと、歴史的仮名遣いで正確に書くことは非常に難しいことです。やれるものならやってみてください。なかなか出来るものではありませんから。助動詞の活用や助詞という難関をクリアしても、歴史的仮名遣いで躓くのは残念ですので、無理はせず、身の丈にあったこととして、現代仮名遣いで済ませた次第です。