2025-02-28

漢文不要論に対するまともな反論としての『全訳家蜂蓄養記』

『全訳家蜂蓄養記』の「あとがきにかえて−−蜂と漢文と私」にも書きましたが、今度の執筆は、現在たびたび議論となる「漢文不要論」について考えたり、それに対する一つの答えを提示したりする良い機会となりました。

そもそも「漢文不要論」とは、小中高の教育において漢文を教えるべきか、教えるならどの程度教えるのか、という議論です。その極端なものは、教えるのを止めるというもので、穏当なものは、選択科目にするとか受験科目にしない、というものです。中間的なものに、細を穿つような文法教育偏重を止めるべき、というものもあります。

「漢文不要論」が唱えられる背景には、漢文の知識や素養が社会に出てから一度も役に立っておらず功利的に無意味だという問題があります。また、現代の教育カリキュラムが、ITなどかつてなかった科目が追加されてギュウギュウの状態で、優先順位の低いものを減らすかなくすしかないという現実的な問題もあります。他にも、端的に授業や試験勉強がつまらないというスチューデント・アパシーの問題もあります。背景事情は多様できりがないため、ここでは代表的なものに限って挙げています。

しばしばこのテーマに関し、「漢文を学んでいて役に立った事例があるなら挙げて欲しい」と、挑戦的な言説が発せられることがあります。そのような発言をしてしまうこと自体、視野の狭さや想像力のなさを露呈しているわけで、まともに相手にする必要もないわけですが、それに対して敢えて私は、拙著訳『全訳家蜂蓄養記』を挙げたいと思います。私のような小市民が歴史的名著の現代語訳を出せたことは、「漢文を学んでいて役に立った事例」と言えるでしょう。

さらに、私は『家蜂蓄養記』の翻訳を作成する過程で、現在「ニホンミツバチ」と呼ばれている野生のミツバチが在来種や固有種ではなく、秀吉の朝鮮出兵の時に連れられて来た外来種であることを発見・証明することができました。これも、学校教育において漢文や古文がカリキュラムに組み込まれていた結果です。このように、漢文教育も古文教育も、社会に出てから役に立つのです。そういうわけですので、今後漢文不要論の議論においては『全訳家蜂蓄養記』を、漢文教育が役に立った事例の一つとして挙げていただきたいと思います。

さてここで、日本の国語教育について意見しなければなりません。国語教育は、数学や英語ほど目的がはっきりしておらず、国語嫌いを増やすことを目的・目標にしているようにさえ感じられることが多々あります。例えば、「読書感想文」という課題は、その書き方の指導なく課せられます。技術もなく感想を捻り出させられたことで、作文に対してアレルギー反応を起こす人は少なくありません。それと同じように、古典は、文法、助動詞の活用などを、その必要性や重要性を説かずに強引な詰め込み教育が行われています。その結果が、「漢文不要論」に見られる極論や拒絶反応です。実際のところ国語の授業は、体育のマラソンや軍事教練と変わらないように思われます。国語教師は体育教師のように、単にシゴキをしたいだけのように感じられます。その上、国文学者はギルドを形成していて、内輪では互いに褒め合って盛り上がりはするものの、外部の批判には微塵も耳を傾けません。これでは誰も古典教育を擁護しなくなって当然のことです。

私は、閉鎖的な国語教育業界に助力したいとは思いません。しかし、漢文ができなければ、つい100年前にも遡れなくなり、歴史の捏造を防げなくなることは危惧しています。例えば、未だに「ニホンミツバチは太古の昔から日本にいる在来種だ」という言説を主張し続ける団体や個人がいます。そのような虚偽がまかり通らないためにも、私は『全訳家蜂蓄養記』を旗として、漢文教育の有用性を説いていきたいと考えています。

2025-02-14

マルハナバチの蜂蜜について

『全訳家蜂蓄養記』はこれまでの養蜂史研究を覆すブレイクスルーとなりましたが、それは平安時代の「蜜蜂」が、マルハナバチあるいはクマバチであることを指摘し論証したところにあります。

平安時代に書かれた「延喜式」、「和名類聚抄」、「小右記」などには「蜜蜂」を思わせる記述があるため、平安時代にミツバチはおり、蜂蜜も採取されていたと考えられてきました。私も執筆開始時においては、そう理解していました。

最初にその理解に違和感を覚えたのは、「延喜式」の蜂蜜貢納義務国に紀伊がなかったことです。まあでもそれは決定的ではなく、色々理由をつけることができるので、それほど重大視していませんでした。特に「小右記」には「蜜蜂」から少量の蜜を採取した日記が書かれていたのでほぼ確実と考え、最初の原稿では平安時代にミツバチがいた数少ない証拠の例に「小右記」を挙げていたほどです。

マルハナバチがミツバチの一種で蜜を集めることは知っていましたが、それほど詳しかったわけではありません。マルハナバチについて理解を深めたのは、『家蜂蓄養記』の「土蜂」が一体何なのか突き詰めて考える必要が生じたからです。それが何なのか分からずに『家蜂蓄養記』を訳すことはできません。

『日本山海名産図会』には「ツチスガリ」が出てきます。現代も「ツチスガリ」という昆虫はいます。うっかりしていると、現代の「ツチスガリ」と『日本山海名産図会』の「ツチスガリ」は同じものだとして話を進めてしまいそうですが、直ぐに別物だということに気づきました。現代の「ツチスガリ」はカリバチで、花蜜を集めることはしないからです。

『日本山海名産図会』の「ツチスガリ」が現代の「ツチスガリ」でないなら、一体それは何なのかを言わなければなりません。「ツチ」は土、「スガリ」は蜂ですから、『日本山海名産図会』の「ツチスガリ」は「土蜂」です。

では、蜜を集める地面に営巣する蜂とは一体何なのか? 最初は、マルハナバチとは思いませんでした。その外観はミツバチに似ていないですから。まず検討したのは「ミツバチモドキ」です。「モドキ」というくらいそれはミツバチに似ています。一応花蜜も集めます。集めはしますが、蜜は溜まっていないようでした。色々調べているうちに、「土蜂」はマルハナバチに違いないとの結論に至りました。『家蜂蓄養記』の翻訳においてはそれで十分でした。

「土蜂」がマルハナバチだと分かりましたが、この時はまだ平安時代の「蜜蜂」がマルハナバチだという発想はありませんでした。しかし、平安時代の蜜蜂を整合的に書けないという問題があり、さらには鎌倉・室町・安土桃山時代にはミツバチの記述がないことについて納得の行く説明がつけられない問題もあり、それらの問題は自分の中で大きくなっていきました。

ふと「和名類聚抄」を読み直していると、それがクマバチのことであることに気づき、それが大きな転換点となりました。そこで、平安時代の「蜜蜂」がマルハナバチであると言い切ることができるかについて検討に入りました。そのためには、平安時代の「蜜蜂」についての記述をほぼすべて掘り起こし、それらがマルハナバチだと言っても無理のないことを確認する必要があります。

マルハナバチの蜂蜜は、ニホンミツバチと呼ばれるトウヨウミツバチの蜂蜜と比べるなら量は少なく質も低いです。それでも当時の人々が本物(?)の蜂蜜を知らないのなら、それを蜂蜜と合点することはあったでしょう。むしろこれは、「延喜式」や「小右記」の蜂蜜の量が異常に少ないことの説明になります。

このような推論を経て、平安時代の「蜜蜂」の正体がマルハナバチであるという結論に到達できたのでした。これまで誰もしたことのない推論によって新たな真実に近づくという体験は、非常にスリリリングなもので、研究の醍醐味というものです。これは「銅鉄研究」のような初めから結果が予想される実験や類似の後追い研究から得られるものではありません。

さて、「マルハナバチの蜂蜜」についてですが、養蜂家でも見たことのない人は少なくないでしょう。それは、以下のような具合です。

https://www.youtube.com/watch?v=UmDfR5ZNhhU

https://www.youtube.com/watch?v=3fVtDy8N2K8

蜂蜜は採れなくはないですが、ミツバチほどではないですね。久世松菴の記述とも一致します。やはり当時の「土蜂」はマルハナバチだったのです。