平安時代の、『延喜式』の「諸国年料供進」には「甲斐国一升、相摸国一升、信濃国二升、能登国一升五合、越中国一升五合、備中国一升、備後国二升」、『小右記』には「二合」と書かれています。
注意しなければならない点ですが、平安時代の「合」や「升」は現代のものと同じではありません。「升」を見て一升瓶や、「合」を見て一合枡をイメージしてはいけません。
『全訳 家蜂蓄養記』の162ページ注5にも書きましたが、平安時代の正確な「合」や「升」の量は分かっていません。それでも、現代の「合」や「升」と比べるとずっと少なかったはずです。『小右記』では「二合」の蜜を採取したとされていますが、一般に「合」とは片手ですくえる量のことですので、大した量ではなかったでしょう。
また、『延喜式』の「諸国年料供進」は貢納義務を定めたものですが、必ずしもそれが履行されていたわけではありません。年貢を課されているだけです。足りない分は別の何かで補われていたと思われます。あるいはそもそも空文化していた可能性もあります。
そもそも、「一升」とか「二升」は一群からの採取量ではありません。年貢として納める量です。何群からか掻き集めて「一升」「二升」にしたのでしょう。
なお、『小右記』の「二合」の蜜についてですが、これは1群からの採取量です。仮にこの「合」を現代と同じ量だとすると、それがニホンミツバチの蜂蜜の場合、少な過ぎるように思われます。
また、マルハナバチのことをよくご存知ないと、それから蜂蜜を採ることに疑念を抱かれるでしょうが、心配は無用です。マルハナバチは、ミツバチと比べるなら量は少ないですが、蜂蜜を貯めます。もし可能なら、マルハナバチの飼育者に問い合わせてみてください。お願いすれば、その蜂蜜を分けてくれるかも知れません。マルハナバチ蜂蜜については、公知の事実、つまりは常識なので、同書において力説はしていません。
下の論文は、18,19世紀の北欧でのマルハナバチの蜂蜜についてです。北欧と中世日本とに大きな違いはないでしょう。
ちなみに、この論文の中に、クマバチの腹を割いて蜜胃を食べる話が出ていますが、日本にもそれと同じような習慣はあったようです。