渡辺孝著『ハチミツの百科』(真珠書院、1969年)という養蜂家なら一度は読んだことがあると思われる本の5ページには、「キリストが十字架上でよみがえったとき、最初に食べたものは実は『焼き魚とハチミツ』だった」と書かれています。色々とツッコミどころの多い誤った記述ですが、果たして「復活後のイエスはガリラヤ湖畔で弟子らと『焼き魚とハチミツ』を食べた」のでしょうか。
この復活後のイエスが弟子らと食事をした記述は、ルカ24章41節から43節に書かれています。
彼らは喜びのあまり、まだ信じられないで不思議に思っていると、イエスが「ここに何か食物があるか」と言われた。彼らが焼いた魚の一きれをさしあげると、イエスはそれを取って、みんなの前で食べられた。(口語訳)ハチミツは出てきません。食べたのは焼いた魚だけのようです。これは口語訳の聖書だけでなく、他の訳の聖書においても同じですし、他の言語の聖書においても変わりはありません。それにもかかわらず著者の渡辺氏は増訂序文の中で、自分の英語の聖書には書かれているし、ギリシア語の「原典」にも書かれているから、自分の持論は間違っていないと主張しています。
さらに渡辺氏は「実はキリスト教は門外漢の私にはもう手に負えません」と、専門知識がないことを認めながらも、「改訳の際には、ぜひ原典どおりハチミツという訳語を入れていただきたい」とまで書いています。
なぜこのような悲劇が起こってしまったのかと言うと、渡辺氏が使っていた聖書は、後世の写字生が加筆した写本を底本とした聖書(おそらくは、ラテン語ウルガタ訳か、シリア語クレトニア写本(5世紀)を底本とした英訳聖書)だったからです。
現代の聖書翻訳で底本として採用されているのは、主にバチカン写本(4世紀)やシナイ写本(4世紀)で、このように古い聖書写本のルカ24章にはどこにも「ハチミツ」の記述はありません。つまり、「ハチミツ」は何らかの理由で後代に書き加えられた「原典」には存在しない記述なのです。そのようなわけで、現代用いられている聖書で、復活後のイエスが弟子と共にした食事でハチミツが出てくるものは、ありません。
もし渡辺氏がこのような写本(決して「原典」ではない)についての「専門」知識があれば、「改訳の際には、ぜひ原典どおりハチミツという訳語を入れていただきたい」という頓珍漢なことを書くことはなかったでしょう。
渡辺氏の『ハチミツの百科』はこれ以外にも多くの誤った記述が含まれています。この本に基づいて薀蓄(うんちく)を傾けるのは十分注意しなければなりません。後から恥をかくことになりますからね。
なお、日本語の聖書でも、「明治訳」「ラゲ訳」(カトリック)といった古い聖書には、復活後のイエスがハチミツを食べた描写があります。もちろん現在では使われていません。
「聖書とハチミツ2--古代イスラエルにおける養蜂」に続きます。