聖書とハチミツ6--バプテスト・ヨハネの野蜜

聖書とハチミツ5--穢れたミツバチの蜂蜜を食する」の続きです。


共観福音書の記述



福音書は、バプテスト・ヨハネからイスカリオテのユダに終わると言っても過言ではありません。どちらもキャラが立っています。特にイスカリオテのユダは終盤に突如目立ち始め美味しいところをかっさらっていきます。あくまで主人公はイエスですが、キャラの立った登場人物が多いのも福音書の魅力でもあります。

ここで検討するのはバプテスト・ヨハネについてです。ヨハネは格好からして普通ではありませんでした。

このヨハネは、らくだの毛ごろもを着物にし、腰に皮の帯をしめ、いなごと野蜜とを食物としていた。マタイ3:4

このヨハネは、らくだの毛ごろもを身にまとい、腰に皮の帯をしめ、いなごと野蜜とを食物としていた。マルコ1:6

このらくだの毛衣と皮の帯は、当時人気の高かった昔の預言者エリヤのコスプレです。ヨハネは、アハブやバアル崇拝者のイゼベルを糾弾したエリヤになりきってユダヤ人に悔い改めを迫ったというわけです。

しかし、ここで検討するのは、ヨハネの主義主張ではなく、その食物です。


野蜜


「野蜜」とは一体何なのでしょうか。日本語に「野いちご」という語ならありますが「野蜜」という語はありません。

「野蜜」は英語ではwild honeyです。しかし何度も言っていますが、ギリシャ語で書かれていたものを訳語から考えても意味はありません。ギリシャ語では、μέλι ἄγριονです。μέλιがメリッサの「メリ」で、ἄγριονがアグリオンです。それぞれ「蜜」と「野生」という意味です。

「乳と蜜の流れる地」の「蜜」は蜂蜜ではなくイチジクかナツメヤシの甘味だと以前に述べましたが、この「野蜜」は蜂蜜で間違いないでしょう。なぜなら、イチジク/ナツメヤシを食べていたら「いなごとイチジク/ナツメヤシを食物としていた」と書かれていたはずだからです。

それでも疑問が完全に脱ぐえるわけではありません。なぜ、「野」蜜なのかの謎は残ります。

飼育しているミツバチの蜜を「蜂蜜」と呼び、野生のミツバチの蜂蜜を特に「野蜜」と読んだのだと言えれば簡単ですが、語義のみでそこまで言ってしまうのは憚れます。しかし憚れはしますが、きっとそういうことなのだろうと思います。それ以外に「蜜」にわざわざ「野」という修飾語をつける理由が思い当たらないからです。


蜂蜜ハンターとしてのヨハネ



以下は、福音書の記述にはないわたしの想像になります。

ヨハネが野生のミツバチの巣から「野蜜」を採っていたことには二重の意味があることになります。まず、ヨハネは養蜂家ではなかったということです。ミツバチを飼育していたなら、その蜜を「野蜜」と呼んだりはしなかっただろうからです。

次に、野生のミツバチの巣を煙でいぶして蜂たちを弱らせ蜜ごと巣を簒奪することは、現代でもしばしば行われていて、そうする人は特に「蜂蜜ハンター」と呼ばれています。ヨハネはそのような野生のミツバチの蜂蜜のとり方を知っていた特殊技能の持ち主だったのかもしれません。

このような特殊な採取方法は危険ですが、蜂への恐怖心がなければ誰でも(?)行えます。要は蜂に対する慣れの問題です。慣れていれば野生の蜂群から蜂蜜を採るのはそれほど難しくありません。ヨハネがどういう人生をおくってきたのかは分かりませんが、もしかするとエッセネ派の人々と修行していたころに養蜂を行い、ミツバチには慣れていたのかも知れません。

「聖書とハチミツ7―シリア・ミツバチに喩えられたアモリ人」に続きます。

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