「長慶寺山古墳群」の続きです。
答えは、総山となるでしょう。総山の標高は168mですが、天坊山は163mだからです。
もっとも、総山は小野市と加古川市の境界にあり、また小野アルプスの一角を占めるため「小野市の山」という感じがします。所在地も「兵庫県小野市下来住町西霞惣山1861番5」と振られており、加古川市上荘町白沢の山というよりは小野市の山ととらえるべきではないかと思います。
一方で、天坊山は加古川市の山で、所在地も上荘町小野ということになっています。しかし、平荘町上原の境界にありますし、住民との距離や位置の関係から言えば、平荘町上原の山という感じがします。
と、不毛な議論を展開しましたが、総山と天坊山の最大の違いは、古墳の有無です。古墳があるのは天坊山です。総山に古墳はないと断言はできませんが、今のところは見つかっていません。天坊山よりも少し高い総山にはなく、天坊山の頂上付近に古墳が造られたのは、住んでいるところ/支配していたところを見下ろすのに適していたためだと想像されます。もちろん当時の人がどのような意図でそうしたのかは分かりませんが。
天坊山の頂上には円墳があるようです。しかし一見良く分からず、教育委員会が立てた看板でその存在が分かる程度です。
この古墳は、1968年(昭和43年)に関西電力が電波の反射塔の設置工事を行っている最中に発見されました。そのため、天坊山の反射板は頂上ではなく、南側の少し下がったところに設置されています。
副葬品等は市の文化財に指定され、総合文化センターで展示されています。
天坊山古墳出土品一括/市指定文化財
山に登っても古墳のことがよく分かるようになるわけではありませんが、4世紀の人がどのような気持ちで古墳を造ろうとしたのかは分かるかも知れません。
天坊山の登り口は、小野の長池の北側の道沿いにあります。
この道標の左に、見逃しやすい登山口があります。
それでも、金網の前に棒が立てかけられているので登山口だということが分かるでしょう。
写真の棒は、おそらくは登山者が杖として使ったものと思われます。
登山口に入ると、道のような道でないような、それでもやはり道と思われる道が通っています。
たかだか163mの山ですが、登山口から頂上まで片道20分もかかりました。
見晴らしは良いです。南南東に見えるのは長池です。しかし長池は1830年に改修されたものなので、4世紀には今のようには見えていなかったと思われます。
西側です。上原の集落とクリーンセンター(焼却場)が見えます。
古墳を造った人々は、上荘ではなくこちらの方を向いて造ったのではないかという気がします。
東側です。都台が見えます。都台は標高60数mの小山ですが、天坊山古墳が造られた頃はまだ70数mありました。このことについて後に書く予定でいます。
「都台古墳」に続きます。