2019-10-04

都台古墳

天坊山古墳」の続きです。



東急加古川ニュータウン


現代の都台、といっても出来てから50年ほど経ちますが、都台は、かつて都染村の入会山でした。その山は「桃山」という名前で呼ばれていましたが、造成工事前まではもっぱらブドウが植えられていました。

この入会山に目をつけたのが、東京近郊の鉄道会社の「東京急行電鉄」のグループ企業です。こちらの方にとって「東急」は馴染みが薄い会社かも知れませんが、「東急ハンズ」なら聞いたことがあるでしょう。その東急です。

これは、1972年(昭和47年)7月18日に神戸新聞朝刊に掲載された広告です。都台はしばしば「東急ニュータウン」と呼ばれることがありますが、東急としては「東急加古川ニュータウン」と呼ばせたかったようです。東急は他のニュータウンと区別するために「加古川」を入れる必要を感じたのでしょうが、加古川の住民の側からは、当然に「加古川」であることから、「加古川ニュータウン」と呼ぶ人はいません。
広告にもあるとおり、分譲は1丁目から始まりました。600戸ほどの宅地を用意していたようですが、分譲開始から47年経った今でもなお一部空き地が残っています。


桃山のツインピークス


都台の標高は、「水タンク」と呼ばれている給水塔のある東公園付近が最も高く、63.4mとなっています。しかし、これは造成の結果によるもので、元々は70数mの高さがありました。
この地図は都台の開発が行われる前のものです。都台には2つのピークがあったことが分かります。東側のピークは東公園付近です。その西側、中央のピークは、2丁目3号地と3丁目3号地付近です。その辺りが、周辺よりも若干高いのは、かつてピークがあった名残です。

東急は開発にあたり、都台の最も高いところを10mほど削ってなだらかにし、宅地となる敷地を増やしたということです。

※地図北東の池は、現在は「塔の池」と呼ばれていますが、1958年頃までは「上池」と呼ばれていたようです。


都台古墳


上荘には主だった古墳群が3つあります。天坊山古墳、長慶寺古墳群、八ツ塚古墳群(みとろフルーツパーク)。どれも上荘にある目立った「高い山」に造られています。それにもかかわらず、不自然なことに都台には古墳がありません。これは一体どういうことなのでしょうか。

常識的に考えて、都台、すなわちかつての桃山には古墳があったと考えるのが自然です。それが現在存在していないというのは、誰かが意図的に「なかったことにした」からだと、わたしは考えています。もっとも、それがいつ誰によってなされたかについて確たることは言えません。

ところで、「都台古墳」という古墳は存在しています。都台の西にある下池の北端付近にあります。現在は、藪の中に隠れてしまっていますが、見つけられないほど埋もれているわけでもありません。

都台古墳

これは石室が残っていることが確認されているだけで、発掘調査は行われておらず詳細は不明です。

井ノ口の清水」に続きます。