「誰が為に「みとろフルーツパーク」はある」の続きです。
推理
「心中池」。なんという名前でしょう。もっとマシな名前はなかったのでしょうか。いつの時代か、男女、あるいは家族が将来を悲観してこの池で身を投げたのでしょうか。
心中はドラマにはありがちなテーマですが、現実にそう滅多にあるものではありません。そのため、心中事件が起きてからというもの、誰ともなしにこの池のことを「心中池」と呼ぶようになり、それが定着したのかも知れません。
「心中池」なぞ縁起でもないですから、別の名前を付け直す動きがあったのかも知れませんが、それでも、心中のような痛ましくショッキングな事件を人々の記憶から拭うことは難しく、名前を付け直してもその名で呼ばれることはなく、今に至るまで「心中池」と呼ばれ続けたのかも知れません。
真相
などと、「心中池」の由来についてあれやこれやと考えていたところ、加古川市の地図を見る機会がありました。ふと「心中池」に目をやると、この謎は一瞬にして解けました。
教育委員会が八ツ塚古墳の解説資料を作成する際に「真珠池」を「心中池」と誤植してしまい、あるいは誤植された地図に従い、その後訂正する機会のないまま今に至るのでしょう。
「長慶寺山古墳群」に続きます。