シャーロック・ホームズは探偵引退後に養蜂家になった
シャーロキアンなら、またシャーロキアンでなくても多少の教養がある人なら知っていることですが、ホームズは1903年、49歳で探偵を引退した後に(ホームズは1854年1月6日生まれ)、ロンドンから南のサセックス州に移り住み、そこで養蜂を始めました。
この晴耕雨読の日々、ホームズは、「かつてロンドンの犯罪世界を観察していたように」、“Practical handbook of bee culture : with some observations upon the segregation of the queen”というタイトルの養蜂書を著しました。
以下、そのタイトルの日本語訳の例です。
- 『実用養蜂便覧…女王蜂の分封に関する観察』(講談社、鮎川信夫、1976年)
- 『養蜂実用ハンドブック、付、女王蜂の分封に関する若干の見解』(東京図書、小池滋(監訳)、1983年)
- 『実用養蜂便覧、付女王蜂の分封に関する二三の観察』(新潮文庫、延原謙、1986年)
- 『実用養蜂便覧、女王蜂の分封に対する観察付き』(221b.jp、寺本あきら、2008年)
- 『実用養蜂便覧 付:女王蜂の分封に関する諸観察』(角川文庫、駒月雅子、2018年)
副題の翻訳について
シャーロック・ホームズの訳本は沢山ありますが、この本のタイトルの日本語訳は、多少の異動はあるものの、概ね「実用養蜂便覧」と訳されています。
問題は、副題の“the segregation of the queen”の訳です。一様に「女王蜂の分封」と訳されています。しかしこれは、完全な誤訳です。間違っているのは、「分蜂」が「分封」になっているところではありません。「分蜂」自体が誤りなのです。
“segregation”に「分蜂」の意味はありません。それは「分離」あるいは「隔離」という意味です。もし「分蜂」を言いたいなら、“swarming”を使うのが普通です。
そもそも「女王蜂の分蜂」という言葉自体、意味は分からなくもありませんが、奇妙な表現です。そういう言い方をする養蜂家はいないでしょう。もしいるとしたら、最近始めたばかりの人でしょう。群れが分かれることはあります。群れが分蜂することもあります。しかし、「女王蜂の分蜂」とは、一体どういうことなのでしょうか?もちろん、言いたいことは分かりますが。
また、「女王蜂の分封」をどのように「観察」したというのでしょうか。一時的に木に停まっている分蜂蜂球の中央にいる女王蜂を見たのでしょうか。あまり興味深いことは書けそうにありませんが。
要するに、シャーロック・ホームズの翻訳家らは、誰一人として養蜂について知らず、いい加減な訳語を当てていたのです。
“the segregation of the queen”の部分の正しい訳は、「女王蜂の隔離」です。ホームズは、女王蜂を王籠にいれて隔離し、その結果について何か興味深い所見を記したのでしょう。
女王蜂の隔離
女王蜂の「隔離」は、「王籠」と呼ばれる網でできた小さい虫かごにいれて行います。働き蜂はそれに入ることはできませんが、網目を通して女王蜂に餌(ロイヤルゼリー)を与えたり、体を舐めたりできます。
このような隔離を行う主な理由は、産卵を中止させるためです。育蜂児には大量の蜂蜜が消費されるため、産卵を物理的に中断し、働き蜂の育児負担を減らすのです。その結果、普段よりも多くの蜂蜜を収穫することができます。このようなテクニックは、「除王採蜜法」として知られています。
あるいは、女王蜂が何らかの理由で、敵と判定され働き蜂に襲われている時に、殺されないように王籠にいれて「隔離」し、保護することもあります。このような混乱は、合同や盗蜜などで他所の働き蜂が沢山侵入した時に起こることがあります。他には、他の群れに女王蜂を移入する時にも起きます。
一旦敵性判定された女王蜂は、王籠に入れて5、6日置いておきます。当初、王籠に群がって殺そうとしていた働き蜂も、その頃には、翅を震わせることを止め、忙しく歩き回って侵入口を探すことも止め、女王蜂を受け入れるようになっています。そのタイミングで、女王蜂を解放します。
おそらく、そういったことをホームズは書いたのでしょう。
養蜂家としてのシャーロック・ホームズ
探偵引退後のホームズは、その知的探究心をミツバチに振り向けることで、さぞ大きな成果を収めたと想像され、実用養蜂便覧の上梓はその証となりそうですが、養蜂史と照らして考えると、必ずしも順風満帆ではなかったろうことが伺えます。
ホームズがサセックスで養蜂を始めたのは、1903年あるいは1904年以降です。1904年はワイト島のアカリンダニ禍が始まった年です。ワイト島とそう遠くないサセックスにアカリンダニは、ワイト島病発生後、程なくして到達したでしょう。もしホームズが在来の黒いミツバチを飼っていたなら、蜂群のほとんどを失っていたはずです。
イタリア・ミツバチなら、なんとかなったでしょうが、『最後の挨拶』でホームズは、政府絡みの事件を解決するため、探偵に復帰しています。これは1914年8月のことです。丁度この頃がアカリンダニ禍のピークでした。ホームズはアカリンダニ禍を免れることができなかったため、探偵に復帰したのでしょう。そう考えるのが自然です。
なお、「一般社団法人 全国ローヤルゼリー公正取引協議会」のHPには養蜂家としてのホームズに触れていますが、ホームズがロイヤルゼリーの研究をしていた事実はありません。さらに、ホームズが103才まで生きた事実もありません。もしそんなことを言ったら、間違いなくシャーロキアンに笑われるでしょう。作者のコナン・ドイルは、ホームズの死について書いていないからです。
作者が書いてもいないことをさも事実かのように書く全国ローヤルゼリー公正取引協議会は、一体何を企んでいるのでしょうか?皆さんの名推理をお聞かせください。